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第6代リッチモンド公爵チャールズ・ヘンリー・ゴードン=レノックス(, 、1818年2月27日 - 1903年9月27日)は、イギリスの政治家、貴族。 ヴィクトリア朝中期から後期の保守党政権で閣僚職を歴任した。 父が爵位を継承する1819年までセトリントン卿(Lord Settrington)、1819年から自身が爵位を継承する1860年までマーチ伯爵(Earl of March)の儀礼称号で称された。 == 経歴 == 第5代リッチモンド公爵とその夫人キャロライン(初代の娘)の間の長男としてロンドンの自邸に生まれる。 ウェストミンスター・スクールを経てオックスフォード大学クライスト・チャーチへ進学〔。 1841年から爵位を世襲する1860年まで選出の保守党の庶民院議員を務めた〔。1860年10月に爵位を世襲して貴族院議員に列する〔。 第三次ダービー伯爵内閣期の1867年3月、クランボーン子爵(後のソールズベリー侯爵)が第二次選挙法改正に反対して辞職し、その後任に通商大臣サー・スタッフォード・ノースコート准男爵が就任したのに伴う玉突き人事でに就任した〔ブレイク(1993) p.537〕。続く第1次ディズレーリ内閣でも留任した〔ブレイク(1993) p.570〕。 野党期の1869年暮れにを務めていたケアンズ伯爵が辞職したのに伴い、温和な人物だったリッチモンド公がその後任となる。以降、党首ディズレーリがビーコンズフィールド伯爵に叙されて貴族院に移籍する1876年8月までその地位にあり、ディズレーリの方針を貴族院から支持した。しかし当時のディズレーリの貴族院保守党に対する影響力は微妙であり、そのため党内反ディズレーリ派の間にはソールズベリー侯爵を保守党貴族院院内総務に推す声が根強くあった〔ブレイク(1993) p.602-603/617〕。 1874年2月に成立した第2次ディズレーリ内閣にはとしての入閣を希望していたが、ディズレーリはそのポストを財政に強い庶民院議員から任命したがっていたため、結局リッチモンド公は兼として入閣することになった〔ブレイク(1993) p.630〕。農業問題に精通していたため、その分野で活躍した〔森(1987) p.203〕。 リッチモンド公はヴィクトリア女王のお気に入りの貴族であったため〔、1876年1月13日に新たに連合王国貴族爵位としてゴードン公爵を与えられた〔。これによりゴードン=レノックス家は4つの公爵位を保持する唯一の家柄となった。四公位の所領全て合わせた土地面積は28万エーカーにも及ぶという〔。 1885年から1886年に成立した第1次ソールズベリー侯爵内閣ではとスコットランド担当大臣を務めた〔。 1903年9月27日にスコットランド・マレー・にあるにおいて死去した。85歳だった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チャールズ・ゴードン=レノックス (第6代リッチモンド公爵)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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